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2007/02/24

ゲド

三部作を読み終えて、かなり時を経てから語り継がれたという四作目のずいぶんジェンダーな表現には、やはり途惑う。
しかしながら三部作は前哨譚でしかなかったという力強さも感じる。
騒がれたジブリの映画だが、宮崎駿が惹かれてラヴコールしていたというゲド戦記は三部作時点でのことだと思うと、四作目以降を体験してしまってから「映画にしてもいいよ」とか言われても、正直困ってしまったんじゃないだろうか。
ルグィンのその提案が宮崎駿作品に精通してでの上だとしたら、それはイヤミなのではないかと勘ぐりたくもなる。
感銘していた作品の原作者が続編をああいう風に語っちゃっえば、もうその作品には関わりたくなかったんだろうなあ、と思う。

それと実際の映画のことはまた別な話で、まだ見ることができていない。

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» テルーの唄とテルーの関係 [テルー 唄の魅力を語る]
テルーの唄とテルーの関係 『テルーの唄』を聴いていると、とても物寂しくなってしまうのは、やはり孤独なテルーの境遇とこの唄がぴったりマッチしているからだと思う。 テルーは原作『ゲド戦記』では四巻から登場するキャラクターだが、原作の方の生い立ちは映画より遥かに酷い。 顔のヤケドは親に焚き火の中に突っ込まれたからだとか、複数の男衆に強姦された過去があるとか…映画では勿論そんなはっきりとした表現は無く�... [続きを読む]

受信: 2007/02/25 15:57

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